バラ図鑑101~バフ・ビューティ(OR)~
2013年 04月 27日
今日紹介?するバラはORの「バフ・ビューティ」です。
このバラは2011年にお迎えし、2012年からは耐陰性が強いということで裏庭の一番条件の悪いところを担当しています。
さすがに、条件が悪すぎたのか、昨年はほとんど伸長することなく花もまばらで香りも本来のものではありませんでした。
今年の様子を見て、もっと良い条件の場所に植え替えるかもしれません。
「バフ・ビューティ」に期待して、このブログに来てくださいました皆さんにここでお詫び申し上げます。
バラ図鑑99で書き始めた「マダム・カロリン・テストゥ物語」が終わりませんので、その続きを「バフ・ビューティ」の紙面を割いて、書こうと思います。
もちろん、こう書く以上、この物語には「バフ・ビューティ」は登場しません。
重ね重ね「バフ・ビューティ」に期待してこられた皆さんにはお詫び申し上げます。
では、一昨日、昨日に引き続き、「マダム・カロリン・テストゥ物語」 ~ 不幸な人々? ~をお楽しみください。
おっさんが柴犬「じゅん」の体と入れ替わり、何十年振りかの頭髪?の「ボウボウ」感に飽き、初夏の太陽を浴び熱中症になりかけていたころ、そして、おっさんの体をもつ「ザ・ジェネラス・ガーデナー」が、ハゲ頭は太陽光を反射するので光合成には適さない(もともと、葉緑素がないので光合成自体できないのだが)ことに気付き始めたころ、2人の間にも変化が表れてきた。
昔、「チャイコフスキー」からかけられた言葉に必死に応えることで、「彼」への思いを保とうとする「カロリン・テストゥ」
そんな「彼女」を献身的に支えることで、「彼女」への思いを保とうする「くろ」
そんな関係の中で2人?はそれぞれ2人分傷ついていた。
それぞれの心の中で何かが音を立てずに静かに崩れていた。
そんな中、彼女が突然、変調をきたした。
あれだけの美しさで咲き誇り、甘い香りを漂わせていた彼女が、茶色のベールをまとい、その芳香を止めたのだ。
「彼」への信仰にも似た愛に疲れ果て、その絶望感から「死に至る病」を発症したのだ。
日に日に衰えていく「彼女」を必死に支える「くろ」。
美を誇っていたころ、あれほど彼女をほめそやしていた人々も口を閉ざし、誰もが彼女のことを忘れた。くろを除いて。
「死の床」で孤独にさいなまれ、「誰か来てほしい」と何度もうわ言のようにつぶやく「彼女」
その傍らでその「誰か」とは決して自分ではないことを知りながら看病する「くろ」
「あなたは、どうしてそんなに優しいの?」と「くろ」に聞く「彼女」
「「あの人」がこんなに優しかったら」と、そう聞こえる「くろ」はその問いに返す言葉を持ち合わせていなかった。
「彼女」はもう一度「どうしてそんなに優しくしてくれるの?」と聞いた。
沈黙する「くろ」
ようやくその様子にすべてを悟った「彼女」は号泣した。
嗚咽を繰り返しながら、とぎれとぎれに
「今まで、ごめんね。ずいぶん傷つけちゃったね」
「早く言ってくれればよかったのに」
「でも、こんな私を見ていて言える訳ないか」
と、自問自答しながら矢継ぎ早に話した後、「彼女」はかすれるように笑った。
これはまぎれもなく「くろ」だけに贈られた「最期の微笑み」だった。
そのあと、彼女は真顔に戻り、大きく息を吸って静かに吐いた。
意を決した彼女は
「あなたは私の気持ちを知りすぎてしまったわ」
「きっとこんなわたしを許せなくなる日が来るわ」
と遠くを見るようなうつろな、しかし、確信をもった力強い瞳で「くろ」に言った。
一季咲きのはずの「彼女」が9月に花を咲かせたのは、きっとその最期の姿を「誰か」に見てもらいたかったのだろう。
往年の「彼女」を知る者は、この花を見ても「彼女」とは気付かないであろう。そんな花をつけた。
ただ、「誰か」に見てもらうために。
「くろ」はそんな姿を遠くから見ていた。「彼女」のこの「最期の微笑み」が自分に贈られているものではないことは充分知っていた。
ただ、自分が愛した人の最期の姿を、愛した者の責任として見送ろうとそんな気持ちで眺めていた。
突然、天から一筋の光が差し、大勢の天使たちが彼女を迎えに来ました。
薄れゆく意識の中で「彼女」の瞳がとらえたこの世最期の光景がこれだった。
遠ざかる意識の中で、はっきりとは捉えられてはいないがまぎれもなくそれは「彼」だった。
「彼」も「彼女」の最期の姿を見てくれていたのだ。
天使に連れられて天高く舞い上る「彼女」を見送りながら、「くろ」は「ありがとう! さよなら!」とつぶやいた。
奇しくも、「彼女」も同時に「ありがとう! さよなら!」とつぶやいていた。
その言葉が「誰」に投げかけられた言葉かは「くろ」にはよくわかっていた。
ふと気付くとそばには父「りゅう」がすわっていた。ただ、じっと天高く舞い上がる「彼女」の方を見ていた。
「くろ」は、ただ泣いた。
そして、時間が止まった。
再び時間が動き出したのは、どこで覚えたのか父「りゅう」が、ひどく音痴でそれとは分かりづらいのだが「浜田省吾」の「片想い」を歌い始めたときだ。
「くろ」にもっと泣けといっているのか、「くろ」を笑わそうとしているのかわからなかった。
が、父の思いやりだけがやけに身にしみた。
(The End)
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